素人が芸術作品を徹底的に考察してみる

小説や映画、絵画、現代アートなどを考察するブログです。素人が自分の知識と偏見で書くのであしからず。

2015年12月

日本を代表するアニメ映画の監督、宮崎駿。

数ある作品の中で、アカデミー長編アニメ映画賞を受賞した「千と千尋の神隠し」。

名作です。

しかし、何かよくわからないシーンやキャラクターが幾つかあります。

いろいろ考えると、裏のストーリーがありそうです。


実際、ネットで調べると、多くの人が色々と考察されている記事を見ることができます。

しかし、しっくりくるのが無かったので、自分で改めて考察してみました。

ご覧ください。

(ネタバレがあります。ご了承下さい。)














カオナシは現代人の象徴



意味あり気に登場し、物語の中心にいるカオナシ

神様だけが来れる油屋にきて、ひと騒動起こします。
その後、千尋と一緒に銭婆のところに行きました。

その象徴的な顔と行動は、何かを暗喩してそうですよね。



まず、カオナシの特徴をまとめてみます。

・馬鹿みたいに食べ(資源を消費し)、欲望が尽きない。
・何でも金で解決しようとする。
・自分の声では話せず、他人の言葉でしか話せない。


何となくですが、これって現代人に似てます。


では、この映画で現代人はどう定義されているのか、見てみます。
この映画で出てくる現代人は千尋と両親しかいません。

改めて見直すと千尋の両親とカオナシには共通点があるのが分かります。

まず、双方とも馬鹿みたいに食べ、欲望が尽きません。
千尋の両親はお店の料理を大量に食べ、豚になってまで食べていました。

次に何でもお金で解決できると思っています。

大量に食べる両親を見た千尋が「お店の人が来たらどうするのか」と心配すると、母親は答えます。
「そのうちくれば、お金を払えばいいだけだから」
父親も続けます。
「カードも現金も持ってるから」

現代人である両親はお金さえ払えば、解決できると思っているのです。


この通り、カオナシと映画の中の現代人(千尋の両親)には共通点がありました。
これらのことか、カオナシは現代人を象徴しているとみて問題なさそうです。


















現代人は神となりえるのかという問い



現代人の象徴であるカオナシを油屋に入るのは、現代人は神様なのかという問いではないでしょうか。

日本には八百万の神がいます。
何にでも神となるのであれば、現代人も神の一員となりえるのる可能性もあります。


話は変わりますが、宮崎駿監督は前作で「もののけ姫」を作りました。
その「もののけ姫」では、日本人による神殺しを描きました。
そして、本作では、現代人は神になりえるのか問いかけているのです。

つまり、「千と千尋と神隠し」は「もののけ姫」のテーマの続編とも言えるのです。


「現代人が神となりうるのか」という問いは、すでに答えが用意されています。
それは、銭婆に会いに行く部分を見れば分かるようになっています。













電車は輪廻を象徴



ひたすら海の上を走る電車。
しかも、電車には行きしかなく、帰りの電車がないということ。

なんか意味あり気です。


自分は、この電車の部分に、先ほどの「現代人は神なのか」という問いの答えがあると思っています。

それでは詳細に触れたいと思います。




まず、着目してほいのが列車の行き先。「中道」と書かれています。

image


馴染みのない言葉ですが、「中道」は仏教用語です。


むかし、釈迦が悟りを求めて修行した時、あらえる苦行を伴った修行をしました。

しかし、その修行を終えたとき、苦しいだけで意味が無かったと気づくのです。
そして、本当に仏になりたい(悟りを開きたい)ならば、楽な道もダメだが、苦しい修行も意味がない。
そのどちらでもない、真ん中の道が正しい仏への道だと教えたのです。

これが「中道」です。
「中道」とは仏への道のことを言っていたのです。

つまり千尋が乗った列車は仏行きを意味しているのです。





次に着目したいのが、降りる駅が6番目の駅ということです。

この駅について、釜爺は「とにかく6つ目だと」と何度も言い、6番目という数字にこだわっていることが見てとれます。


6番目という意味ですが、列車の行き先「中道」から察するに、6というのは「六道」を象徴していると思われます。

この「六道」という言葉も仏教用語で、全ての生き物が住む地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上と言われる迷いのある6つの世界を表しています。また、生き物は死ぬと6つの世界のどこかに再度生まれ変わると言われています。
そして、そのどの世界も大なり小なり、苦しみや迷いがあり、寿命もあるという考え方です。

どの世界に生まれても、ツライことには変わりありません。そこで、仏になり、六道から解脱すること。これが仏教の目的の一つです。(宗派に応じて考え方が異なります)


この列車の駅が六道だとすると、駅で乗り降りしていたひとはそれぞれの世界に生まれ変わる(輪廻すふ)人だったと思われます。

そのため、乗っている人は死人であり、覇気がなかったのですね。

また、ずっと列車が水の上を走っていたのは、岸辺(浄土)につかない三途の河を象徴していたのかもしれません。

ちなみに、7は仏教において、仏を表す数です。
釈迦が生まれたときに、7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったのは有名な話。
また、人が亡くなった後、初七日、四十九日(7かける7日)を節目とするのも、7が仏を表す数字だからです。

千尋たちが、7駅目の駅で降りていたら、また解釈は変わったでしょう。


これらのことを踏まえて、カオナシを6番目の駅に下ろすということは、現代人(カオナシ)は神仏の世界ではなくて、迷いのある現実の世界にいるべきという主張を表していると思われます。



その後、カオナシは銭婆の家にとどまります。
そこでは、あの暴れていたカオナシは大人しくなります。
編み物の手伝いをしたりと、コツコツ働いていました。



カオナシの一連の行動が表す行動をまとめてみます。

「現代人は神となることはできない。
現世で、世俗にまみれて、労働しておけ」


カオナシには、こういうメッセージが込められているのではないでしょうか。














考察は以上です。

仏教の話とか出てきて、少し怪しい人っぽくなってしまいました。

申し訳ありません。


それにしても、深い映画でした。

実は些細な暗喩があるシーンは他にもあるのですが、書ききれませんでした。

これは何度も映画館に足を運びたくなります。
見れば見るほど気づきがありそうです。

宮崎駿監督が世界で評価されているのも頷けます。





長い文書でしたが、最後まで見て頂いてありがとうございました。

次あたりは「となりのトトロ」を考察してみたいです。

終わり。





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パイレーツ・オブ・カリビアンシリーズ第3作品目、「ワールド・エンド」。




とても壮大なストーリーでしたね。

神話やら、伝説の海賊やらが出てきて、最後はハッピーエンド。

良かった良かった。

…。

しかし、意味がわからないものがありませんか?

たとえば、「ディヴィ・ジョーンズの海の墓場」で出てきたカニの大群

ジャックが時より食べる

そして、ディヴィ・ジョーンズの姿が表すもの

気になりますよね?
いかにも意味ありげですよね?

意味がわからない終わってしまうなんて、もったいない!

ということで、これらを考察してみます。
もちろん、ネタバレ含みます。ご了承下さい。














カニはカリプソの象徴、もしくは再生の象徴



この映画において、カニは2つの意味があると思います。

1つ目は再生の象徴としてのカニ。

芸術の世界において、カニは「再生の象徴」であることが知られています。(1)

これはカニのハサミが切れてしまっても次から新しいのが生えてくることに由来しています。

また、水陸両用を行き来することから、あの世とこの世を行き来できるという意味も知られています。(1)


ジャック・スパロウがいた砂漠から、ブラックパール号とジャックを運んでくれたのは大量のカニでした。

この時、ジャックは「ディヴィ・ジョーンズの海の墓場」という「あの世」にいました。
それをカニは「この世」に「再生」させるため、ジャックを運んだ
のです。

解釈が映画のシーンにぴったり合いますね。

これが1つ目の意味です。







カニが持つ2つ目の意味。

それはカリプソです。

「ディヴィ・ジョーンズの海の墓場」から船とジャックを運び出したカニはティアダルマ(カリプソ)の足元に集まっていました。

また、カリプソが呪縛を解かれた時、大量のカニになって海に戻ります。

これらのことから、カニはカリプソを象徴していることが分かります。

つまり、海の墓場からジャックスと船を助け出したのは、カリプソの力ということを意味していたのです。














ディヴィ・ジョーンズの姿は、海とカリプソへの執着を象徴



フライング・ダッチマン号の船長、ディヴィ・ジョーンズ。

初見で、その姿を見た時は、素晴らしいデザインだと思いました。
第1作目の死なない海賊よりも、見る人に恐怖を与えるその姿。

では、デザインをよく見てみます。

ジョーンズは全体的にイカやタカを連想させる姿をしています。
しかし、手や足だけはカニのハサミのようになっています。

これが意味しているのは何でしょうか?


まず、イカの部分から見ていきます。

この作品でイカと言って思いつくのは?

そうです。クラーゲンですね。
クラーゲンはデッカいイカ。

クラーゲンに目をつけられた船は逃げることはできずに、海に沈みこまれてしまいます。
クラーゲンは海の恐怖を象徴しています。

つまり、ディヴィ・ジョーンズのイカの部分は海の支配者を意味しています。

もしくは『「海を恐怖で支配する」ということへの執着』を意味しているのかもしれません。




次は手と足のカニを見てみます。

カニは上で書いた通りカリプソを意味していましたよね。

つまりこれは簡単に分かります。
ディヴィ・ジョーンズは心をカリプソにとらわれている、ということを象徴しているのです。


ディヴィ・ジョーンズはカリプソに恋心を抱きましたが、裏切られた過去があることが、劇中に何度も触れられています。

にも関わらず、まだ未練タラタラなのも見て取れます。


これらのことから、ディヴィ・ジョーンズの姿は、「カリプソ」と「海の支配者という立場」に固執していることが表現されているのが分かりました。













豆は福音を意味している?



次にマメについて、考察してみます。

この映画でマメを食べるシーンは2箇所。

1つ目は、ジャックが「ディヴィ・ジョーンズの海の墓場」のブラックパール号の上で、船を動かそうとしていた時。

2つ目は、ジャックがフライング・ダッチマン号の牢屋の中で、脱獄を思案している時。





1つ目のシーンについてですが、過去のディズニー映画のオマージュであるという記事をネットで見ました。(2)

『ミッキーのジャックと豆の木』という映画だそうです。

なるほど、どちらも「ジャック」という名前が出てくるから、遊び心で入れたシーンということです。


しかし、これでは腑に落ちません。
なぜなら1つ目のシーンはオマージュだとしても、2つ目のシーンが解釈できないからです。

ということで、豆の意味を自分なりに推測してみました。



絵画において、「種」には「福音」という意味があります。(3)
「福音」のアトリビュートが「種」なのです。

もちろん「豆」も「種」の一部です。
そして、この「豆」を「福音」と解釈すると、すごくスッキリするとこになります。


ジャックが豆を食べるシーンには共通点があります。

それは、どちらも八方ふさがりな状況に置かれているということです。

1つ目のシーンでは、ジャックは海の墓場から出られずに、もがき苦しんでいます。
2つ目のシーンも、フライング・ダッチマン号の牢屋から出られずに、苦しんでいるのです。

そして、どちらの状況も打開されます。

1つ目のシーンは、カニ(カリプソ)によって助けられます。
2つ目のシーンは、1作目のウィルの方法を思い出し、テコの原理で、脱獄することができました。

つまり、「豆」を食べた後、それぞれの状況を打開する「福音」があったのです。

ということで、「豆」=「福音」を意味していると思われます。













勝手に色々と考察してみましたが、いかがでしたでしょうか。

少しは参考になったでしょうか。


絶妙に寓意がありそうな作品って面白いですよね。

そういう意味ではパイレーツ・オブ・カリビアンの初期三部作はなかなかの名作だったと思います。




終わり。





参考文献

(1)道合裕基 2014 「<論説>古井由吉「雪の下の蟹」の構造分析 : 小川未明「 大きなかに」との比較を中心に」
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/185708/1/soc.sys_17_101.pdf
京都大学学術情報リポジトリKURENAI

(2)Wikipedia 「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」https://ja.m.wikipedia.org/wiki/パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド

(3)shoulder 2014
「【知ってた?】 西洋絵画のルール – 種」
http://canalize.jp/6146.html
「へんじがない。ただのポンコツのようだ。」



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大人気シリーズ、パイレーツオブカリビアン。
これの一作目、「呪われた海賊たち」。

凄く面白いですよね。


しかし、見ている中で、気になるものがありませんでしたか?

例えば、象徴的に出てくるリンゴと猿

なんか意味ありげですよね?
意味があるとしたら気になりますよね?

ということで考察してみました。

バリバリネタバレ含む(シリーズを通じた)ので、ご了承下さい。









象徴的に出てくる猿とリンゴ



この映画には猿とリンゴがよく出てきます。



まず猿。

猿はキャプテン・バルボッサのペット(?)でしょうか。

バルボッサの肩に乗ってたり、ウィルとエリザベスから金貨を取り返しに来たり、と大活躍ですね。

下手したら他の乗組員より優秀かもしれません。

そんなこともあってか、バルボッサも可愛がってます。




そして、リンゴ。

ブラックパール号の食卓にたくさん積まれてましたね。

バルボッサもエリザベスにリンゴを勧めたり、「呪いが解けたら、まずリンゴを食べたい」という旨のことを言ってました。

バルボッサはだいぶリンゴに執着しています。















猿は悪徳の象徴



日本人は猿に対してマイナスイメージはありませんよね。

例えば、桃太郎。猿は桃太郎の仲間として敵の鬼を倒します。
このように、昔話でも味方として扱われる猿。

日光東照宮においては、三猿といるレリーフがあったりして、信仰の対象にもなっています。

こうやって日本では、悪いイメージのない猿。


しかし、ヨーロッパでは猿は「悪徳」の象徴として、絵画などで使われています(1)(2)

例えばこの絵。

image

グランド・ジャット島の日曜日の午後
ジョルジュ・スーラ 1886


この絵の画面左の黒い服の女性は猿を連れてますよね。

image


猿をペットにすることが流行ったわけではありません。
何らかの意図があって、描かれています。

これは「猿=悪徳」の女性ということで、娼婦ということが言われています。(2)

ということで、猿=悪徳というのは西洋の芸術では周知の事実となっているのです。

(戦時中、日本人を「イエローモンキー」と言ったりしたのもこういうイメージがあったからかもしれません。)

では、この映画における猿について考えてみましょう。

この映画において、猿は、バルボッサの側にいますよね。
そして、全シリーズ通して、ジャックになつきません。

つまり、バルボッサ=悪徳の海賊ということが分かるのです。
そして、ジャックが悪徳から遠い存在ということも。

ということで、猿の謎は解けました。













リンゴを食べる=人間になる



この作品におけるバルボッサは、金貨の呪いで食べたものが、舌の上で砂になるって言ってましたよね。

何を食べても美味しくないのです。


そして、この言葉。

「呪いが解けたらまず何をすると思う?
飽きるまで存分にリンゴを食う。」

これは、アステカの金貨の前で船員に向かって行ったスピーチの一部。

どんだけリンゴ食いたいんだよ、って思いますよね。


実はこれにも意味があります。


突然ですが、旧約聖書のお話。

エデンの園で暮らしていたアダムとイヴ(エヴァ)。
ある日、蛇にそそのかされて、園に実る禁断の果実を食べてしまいます。
すると、寿命が有限になっていまい、神様からも怒られ、エデンの園から追放されてしまいます。

聞いたことありますよね。

この禁断の果実、絵画ではリンゴで描かれます。

image

フーゴー・ファン・デル・グース
「人間の堕落」


この絵でもリンゴが描かれています。
ちなみにイヴの横の変な生き物はヘビです。

旧約聖書において、リンゴを食べて人間は無限の命から有限の命になりました。

つまり、「リンゴを食べる=人間になる」ということの象徴なんです。

この作品でバルボッサがリンゴを食う描写がなかったのは「人間ではない」ということ。意味していたのです。

また、バルボッサのスピーチは「早く人間になりたい」って言ってんですね。

そして、2作目でバルボッサが生き返った時、すぐリンゴを食べますよね。
これは「バルボッサが人間になった」ということを象徴していたのです。

なお、復活した以降はリンゴ好きな素振りは見せません。



ということで、リンゴの謎も解けました。












中々、裏のあるパイレーツ・オブ・カリビアン。
かなりおもしろいです。

ちなみに2作目、3作目も中々寓意に溢れています。
(4作目は監督変わったからか、あまりそこら辺はなくなりました。残念)

ということで、また機会があったら紹介します。

終わり。








参考文献

(1)shoulder 2014「【知ってた?】 西洋絵画のルール – 猿」 http://canalize.jp/6521.html 「へんじがない。ただのポンコツのようだ。」

(2)中野京子 2013「中野京子と読み解く名画の謎 陰謀の歴史篇」文藝春秋

中野京子と読み解く 名画の謎 陰謀の歴史篇




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